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マリーナFC 30周年

30周年メッセージ 第8回 原田泰幸さん

投稿日時:2020/08/02(日) 13:35

30周年メッセージ、第8回は安光さんからの紹介で、指導者OBの原田さんです。

原田泰幸です、よろしくお願いいたします。
マリーナに関わるようになったキッカケは、長男の習い事としてでした。
まずは自分の子どもの思い出から。


長男は1992年3月生まれ、小学1年生から入会しました。
石井さんに1年ほど面倒を見ていただき、試合中大声で叫んでいたら、石井さんからたしなめられた「苦い記憶」があります。
当時は指導者講習会もなく、皆さん「指導本」を買って勉強していました。
そうこうしているうちに、当時浦安に拠点があったジェフユナイテッドの祖母井さん・池上さん・その他スタッフの方々が、地域のコーチのための講習会を開催してくれました。
自分が子供のころの「少年少女スポーツの指導法」と全然違うことにびっくりしました。
「叱って鍛える・大声で怒る」⇒「ほめてのばす・選手に考えさせる」。
長男の入会当時のマリーナFCは、どの学年もあまり強くありませんでした。
試合結果がすべてではありませんが、JEFの皆さんの指導のおかげもあり、ついに花咲きます。
長男が5年生の夏は、クラブ全体で、市内トーナメントで優勝旗・優勝盾を3つくらい取り、県大会で上位入賞する学年も出て、「マリーナの日」と呼ばれました。
当時の代表の日岡さんが「ファミマの前」で、鼻息を荒くしていた記憶があります。
当時は「裏コーチ会」というのが、金曜日の夜「くいくい」という居酒屋で行われおり、大まかな人事はそこで決められていたとか。


次男は1999年5月生、幼稚園年中から入会です。
当時のマリーナのルールでは「年長から」でしたが、新カテゴリーを作ってしまいました。
このころからマリーナFCの選手・コーチがかなり増えて、次男のチームの人数(ピーク時)は、選手:約36名/コーチ:約15名と大所帯、11人制の県大会は、3チーム出しをしていました
「2回目」のコーチが多く、また、育成会さん・保護者の皆さんのご尽力もあり、良い運営ができたかと思っています
私も含め、1回目は力んでしまって、少なからず失敗している過去があり、そういう意味でもいろいろな経験をさせてもらいました。


自分の子どもが卒業した後、縁があってガールズのコーチをやらせてもらいました。
ボーイズと異なり、全員が「サッカーやるぞ-」という思いで来ているのではない、モチベーション・目的も選手によってさまざま、それらをまとめて練習をするのは、難易度の高い仕事でございました。
練習の最後のミニゲームのビブスの色を決めるのに、じゃんけんをして時間をロスしていましたが、ここでもイラっとしてはいけません。
膝の具合が悪くなってしまい、残念ですが60歳で引退させていただきました

余談ですが、学生のとき、黒い弾丸の異名を取っていました。
昔の話ですね(陸上部出身ですので・・・)。
30歳のころ、膝の靭帯を切り、手術もせずそのままでしたので、コーチをしていた当時はすでに「ただの黒いおじさん」になり下がっていました

マリーナは、強いチームだけを目指すのではなく、サッカーを通して「人(選手・親)」を育ててください
マリーナには。本当にお世話になりました。
とても幸せな時間でした。
みなさん、お体に気を付けて、できるだけ永くクラブライフを楽しんでください。
 

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