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マリーナFC 30周年

30周年メッセージ 第4回 中山健吾さん

投稿日時:2020/05/17(日) 11:01

30周年メッセージ、第4回は竹内さんからの紹介。
マリーナのスタート時から現在まで、29年間コーチを続けていただいている中山さんです。

皆さん、こんにちは!中山健吾です。
3月に5回目の卒団生を送り出しましたが、今年は学年担当から離れ、マリーナFC全体への支援が
何か出来ないかと考えています。
田中代表へは、クラブ内の審判経験豊富なコーチの方々と一緒に、各学年への審判支援を主とした活動を行いたい旨、お願いしているところです。


平成3(1991)年4月に長男が日の出小入学と同時にマリーナに入会することとなり、何かお手伝い出来ればと思い、軽い気持ちで校庭に足を運んだのが最後、いやキッカケでした。
他のお父さん2人と一緒に1年生担当コーチを引受け、約20名の子供達と練習が始まりましたが、4年から2年生、ガールズと同時刻(土曜日14時から)に日の出小校庭を利用していた為、時には1年生のみ日の出幼稚園脇の空き地(現駐車場)でボールを蹴ったこともありました。
当時のマリーナFCは前年(1990年)4月7日に3年生7名、2年生7名にコーチ3名でスタートしましたが、この時には約90名の所帯になっていました。


私が長くマリーナFCの活動に携わって来たのは、単純にサッカーが大好きで、その自分の大好きなサッカーの魅力を子供達や保護者の方々に伝えたい思いからです。
その思いを実現する為に、子供達へのアドバイスや、元気づけ、育成会の方々と一緒になっての応援等毎回行ってきましたが、いつも十分に子供達をサポート出来なかったという自分なりの反省があり、結果として長く携わって来たのかもしれません。
エピソードと言えるのか解りませんが、攻守の切り替えを早くする時に、“HURRY”という掛け声を子供達にかけたことで、当時の育成会の方から、ハリー・中山と渾名されたことがありました(笑い)。


マリーナFCを取り巻く環境はこの30年で劇的に変化したと思います。
創立当時はサッカーを経験したことのあるコーチの数も少なく、毎週毎週手探りの状態で子供達に接していたような気がします。
時にはイライラが影響して、子供達に声を荒げたこともありました。
私から一番に怒鳴られたのは、長男でした!
マリーナFCの子供達は、今も昔もサッカーが好きな事に変わりはありません、毎週末の練習や試合を楽しみにしています。
コーチも保護者の方も、その思いに答えようと本当に熱心に子供達を後押ししていますが、逆にそれが子供達の負担になっているのではと思うことがあります。
創立当時は、コーチが子供達と一緒になってボールを追いかけていました。
練習メニューもワンパターンで、技術的な事や戦術的な事は殆ど教えていませんでした。
それでも、卒団の時に、「サッカーの楽しさを教えてくれてありがとうございました」と言ってくれた子供がいたことを思い出します。


マリーナFCに行けば、老若男女誰もがサッカーを楽しめる、地元の方々に愛される街クラブであって欲しいと思います。
これだけ長くマリーナFCが活動することが出来たのは、サッカーが大好きな子供達とコーチの皆さん、そしてコーチと子供達を精一杯サポートし続けて頂いた歴代の育成会の皆さん夫々の努力の賜物と思います。
本当にありがとうございました。
そしてこれからも宜しくお願い致します。

マリーナFCでの活動は、私にとっては本当に夢のような時間でした。
その夢のような時間を過ごさせてくれたのは、私の妻です。
妻のサポートがあってのマリーナFCの29年間でした。

中山さん、ありがとうございました。
身体に気をつけて、これからもよろしくお願いいたします。
 

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