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マリーナFC 30周年

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30周年メッセージ 第38回 野崎雅貴さん

投稿日時:2021/12/11(土) 02:44

30周年メッセージ、第38回は、卒業生の野崎雅貴さんから頂きました。


マリーナF.C.30周年、おめでとうございます。
野﨑 雅貴(ノザキ マサタカ)と申します。
私は、1999年~2007年度の間、マリーナF.C.に所属していました。
マリーナF.C.でサッカーを始めたことをきっかけに、大学卒業までサッカーを続けていました。
大学卒業後は、海外ボランティアを経験し、現在は国際協力に関する仕事をしています。


マリーナF.C.には家族に勧められて入会したそうです(自分自身がサッカーをやりたいと言い出したからだと思っていましたが、先日掲載された父のメッセージを見て、真実を知りました)。
少年サッカー場(当時の名称)で、市内の他チームと練習試合や公式戦をしたことが、思い出に残っています。
みんなでいつもと違うグランドに行き、芝のピッチでサッカーをすることはとてもワクワクしました。
マリーナF.C.卒団後は、中学・高校と浦安SC(現ブリオベッカ浦安)にお世話になり、大学ではさらにレベルの高い環境に身を置きたいと思い、日本体育大学へ進学しました。
大学4年時には、関東大学サッカーリーグ1部3位、全日本大学選手権準優勝という結果を残しましたが、残念ながら私はスタンドで応援していました。


大学卒業後は、スポーツを通じた社会貢献がしたいと思い、JICA海外協力隊というボランティアに参加し、アフリカのザンビア共和国にある公立の中学・高校で体育教師を務めました。
ザンビアで一番人気のスポーツはサッカーだったため、子どもたちと一緒にボールを蹴ることはもちろん、サッカークラブで指導をする機会にも恵まれました。


また、学校で教員を務める傍ら、パラナショナル陸上チームの指導を行っていました。
今年の夏に開催された東京2020パラリンピック大会には、指導をしていた選手の中から、モニカ・ムンガ選手が女子400mに出場し、日本で再会を果たすことができました。
モニカ選手はアルビノという病気を抱えており、視覚障害を持っています。
障害を持っていることで、ひどい差別を受け、家に引きこもっていた時期もあったそうですが、陸上というスポーツに出会い、目標ができたことで人生が変わっていったと話していました。
私自身も指導を通じて、スポーツの持つ力を再確認でき、全ての人が楽しむことのできるパラスポーツが、日本でもっと普及することで、共生社会の実現に繋がってほしいと感じています。
現職では、開発教育という分野を担当しているため、世界と日本の繋がりや、日本が開発途上国へどのような支援を行なっているか、広めていく活動をしています。
その中で、スポーツには世界中の人を繋ぎ、笑顔にする力があることを、積極的に発信していきたいと思います。

マリーナF.C.は、子どもたちが純粋にサッカーを楽しみ、好きになることができるクラブであり続けてほしいです。
また、マリーナを通じて多くの人が繋がり、日の出地域全体が明るい雰囲気になってほしいなと思います。
私はマリーナF.C.に入ったことがきっかけでサッカーが大好きになり、サッカーを続けてきたことで多くの人に出会い、支えられて今の人生があると感じています。
30年間バトンを繋いでいただいた、マリーナF.C.にかかわるすべての方に感謝申し上げます。
今後もマリーナF.C.で育った子どもたちが、様々な方面でご活躍されることを祈っております。

30周年メッセージ 第37回 野崎克哉さん

投稿日時:2021/12/05(日) 06:35

30周年メッセージ、第37回はクラブ代表をしていただき、千葉県で2級審判活動をされた野崎さんからです。


マリーナF.C.30周年、おめでとうございます。
野﨑克哉(ノザキ カツヤ)と申します。
1999年~2012年度は学年のコーチ、2004~2005年度はクラブ代表を務めさせていただきました。
日の出に住み始めて27年目の58歳、会社員です。
3年前に審判活動を引退した後はサッカーから遠ざかっており、最近はコロナ禍もあり、少々運動不足気味です。

日曜日に子供を連れて日の出小学校に遊びに行った際に、マリーナF.C.で子供とコーチが楽しそうにサッカーをしているところを見て、長男もこのクラブでサッカーができるようになれば良いなと思いました。
その後、長男が幼稚園年少の時にマリーナに入会させていただき、同時に学年のコーチとして関わらせていただくようになりました。


息子の学年の3年県大会では、2月の極寒の中、早朝に新浦安駅に集合し、試合会場の市原市まで電車で大人しく移動することができ、それまでにない成長を感じました。
しかし、数年後の県大会では、蘇我駅での電車乗り換え時に子供1人が行方不明になり、引率しているコーチ父兄全員大慌てしました。直後に向かいのホーム上で発見し、事無きを得ましたが。


2巡目の学年では、全日本少年サッカー大会少千葉県大会決勝に進出するなど、沢山のハイレベルな試合を楽しませていただきました。
また拙い指導にもかかわらず、子供達の吸収力が凄く、すぐにプレーで表現してくれて驚かされました。
練習後のファミマでの反省会(ミニ飲み会?)や、忘年会・夏合宿等では、学年を超えて他のコーチと楽しく交流させていただきました。

息子の学年の5年県大会で主審をさせていただいた際に、自身の審判レベルアップが必要と感じ、3級審判資格を取得しました。
その後は、市内の先輩審判員にご指導いただき、県協会での活動を開始し、2010年千葉国体を目指して2009年に2級審判員となりました。
国体参加は叶いませんでしたが、前後の年度に県内で開催された各カテゴリーの全国大会への参加は、貴重な経験となりました。
また、試合会場でマリーナOBに再会できたときは嬉しかったです。


マリーナF.C.は、日の出地域に根差した遊び場の一つとして、子供も大人もみんなが集まりたくなる場、仲間と楽しく過ごしながら少しずつ成長していける場であり続けて欲しいと思います。
会員の皆様には、マリーナでの活動を存分に楽しんでいただきたいと思います。
また、これまで支えていただいた方々には、30年以上もこの素晴らしい活動を繋げていただいたことに感謝するとともに、敬意を表したいと思います。
コロナ禍で大変な環境かと存じますが、健康・安全第一で、東日本大震災のように乗り越えていただけることをお祈りいたします。

30周年メッセージ 第36回 吉田容子さん、由希子さん、隆則さん

投稿日時:2021/11/27(土) 11:27

30周年メッセージ、前回の吉田様のご家族からも、メッセージをいただきました。


マリーナF.C.創立30周年おめでとうございます。
吉田容子です。
創設当時から6年間、長男と次女がお世話になりました。
現在は、子どもたちは家族を持って、孫も生まれ、その孫がサッカーをしております。
浦安から海浜幕張に移って、やがて20年になります。

初めは野球チームを作ろうと言う話だったと思います。
主人は小中高と野球をしていたので、ヨシと意気込んで日の出小学校に行きましたが、ご縁があったのはサッカーでした。
毎週のスケジュール確認やグランドの確保など、創設時の世話役のみなさんは、大変なご苦労があったと思います。
感謝しております。

長男の隆則が小学校1年生のときからお世話になったのですが、初めのうちはグランドの隅に小さな花が咲いているのを1人が発見すると、皆がワーッとそちらに走ってしゃがみこむ有り様で、コーチにもご苦労をかけたことと思います。
成長するにつれサッカーの楽しさや勝つことの喜びを知って、生き生きと練習に励んでいました。
隆則から2年遅れて次女の由希子が参加しました。
当時5年生でした。
マリーナF.C.のなでしこたちは大粒揃いの心身ともに丈夫な女子で、女子だからと2学年下の男子と対戦させてもらっていました。
試合の相手チームの保護者からはかえって心配の声が上がったことを覚えています。

これからもサッカーを通じて地域を盛り上げてください、応援しています。
子供の頃に何かに夢中になった思い出は大人になっても宝物ですね。
ひとつひとつの経験が折に触れて自分の支えになっているのではないでしょうか。
これまで関わってくださった全ての皆さんに感謝します。
ありがとうございました。


芦田(吉田)由希子です。
マリーナF.C.創立30周年おめでとうございます。
小学校5年生からマリーナガールズに入りました。
弟がマリーナF.C.に入っていたので、一緒にサッカーが出来たら楽しいだろうなと思い入りました。

冷たい雨の中で試合をしたことや、負けてみんなで泣いたこと、合宿でカレーを食べたことや花火をしたことを覚えています。
サッカーを通して、思いやりや助け合いの気持ちを学べるような場所であってほしいと思います。

マリーナでサッカーを始めたことをきっかけにサッカーが好きになり、今でもサッカーの試合をテレビで観戦するときには、胸が熱くなります。
そして息子が今一番熱中しているのがサッカーで、昔の自分や弟と重ね合わせて感慨深くなります。
サッカーを好きになれたことは、当時のコーチをしていた方々のおかげだと思い、感謝しております。


マリーナF.C.創立30周年おめでとうございます。
吉田隆則です。
小学校1年生から6年生まで、マリーナF.C.でサッカーをしました。
現在は市川市に住んで、妻、長女、長男と四人で暮らしています。
小学校2年生の長男がサッカーをしています。

小学校1年生のときに、マリーナF.C.が創設されて、サッカーに興味を持ちました。
仲間と競い合い、喜び合ったこと、他のクラブにも仲間が増えて行ったこと、コーチたちも一所懸命で優しく、楽しい思い出しかありません。
現在のマリーナF.C.は県内でも強いクラブになったと聞きます、千葉県を代表するクラブになって欲しいと思います。

マリーナF.C.でのサッカーを通じて、楽しいから練習して、うまくいけばまた楽しくなるということ、みんなで一緒にとりくむというチームワークなど、学校以上に学ぶことができたと思います。
この場をかりて感謝申しあげます、ありがとうございました。

●当時のガールズコーチの一人から
メッセージありがとうございました。
創設時の小学生が、立派な保護者になっているというのは、感慨があります。
由希子さんが在籍されていた当時、一緒にサッカーしたことを思い出しました。
これからもよろしくお願いいたします。

30周年メッセージ 第35回 吉田伸一さん

投稿日時:2021/11/20(土) 04:33

30周年メッセージ、第35回は、創設メンバーのおひとりで、小松さんの次の代表をしていただいた、吉田さんです。

こんにちは。
小松会長のあとをうけて、3代目のマリーナF.C.会長を務めさせていただきました、吉田伸一(よしだしんいち)です。
浦安市サッカー協会少年部では、審判部の活動をさせていただきました。
子どもたちが家族をもつようになった今は、サッカーには関わっておりませんが、孫たちがサッカーをしており、それを応援するのが楽しみです。

1989年頃と思いますが、私は日本航空浦安社宅に住んでおりました。
大阪で一緒に勤務したことがある井上さんから、地域の子どもたちにスポーツを教えるボランティアをしてみませんか、と誘われました。
小学校から高校まで野球ひとすじ、大学生のときには柏市で子どもたちに野球を教えていましたので、野球なら自信がありますと即答いたしました。
一週間後、井上さんから日の出小学校に子どもたちが集合しているとの連絡があり、バットとグローブを持って駆け付けてみると、サッカーボールを蹴っている子どもばかりで、野球を教えるという雰囲気ではありませんでした。
数人の保護者のかたもグランドに来ていて、誰が言うともなく、地域のサッカークラブを立ち上げようという話になりました。
サッカーは素人なので教えることができませんと申し上げたところ、井上さんが、サッカーには詳しい方がいるから大丈夫と言われました。
その方が小松慶典さんです。
創設メンバーである梅垣さん、井上さん、小松さんのご努力で、保護者を説得して、何人かの方にコーチと育成会役員を引き受けていただき、マリーナF.C.が誕生いたしました。
私も、野球から転向してコーチをさせていただくことになりました。
小松さんには、サッカーのイロハを教えて頂き、本当に感謝しております。

クラブ創設から数か月後、河村コーチを中心にマリーナガールズが誕生しました。
5年生になった次女がガールズに参加してくれたので、小松コーチとともに、審判として様々な場所でホイッスルを吹かせていただきました。
印象に残っているのは、印旛でのガールズの試合です。
2学年下の男子チーム相手に、技術と体力で勝って圧勝したことで、男子チームの保護者から中学生ではないのか、と言われました。
浦安での帰路、小松コーチと車中で喜び合ったのを覚えております。

長男は、小学校1年生から6年生までお世話になりました。
私はその学年のコーチだったのですが、試合で動きの悪かった息子の尻を蹴っ飛ばしたことがありました。
そのとき、チームの全員からコーチが悪いと言われてしまいました。
子どもたちに謝ったのですが、その後の練習で息子を蹴った足を骨折しました。
絶対に暴力は許されないことを、身を持って気付かされました。
今なら大変な問題になるところでした。

長男の学年は、込山コーチ、田村コーチと私の3人がコーチでした。
私は、勝つことで選手は強くなるという考えだったのですが、込山コーチと田村コーチは、全員参加がチームの強化になるという考えで、試合後、新浦安の焼き肉屋で遅くまで意見を交わしました。
「巨人の星」の星一徹を理想のコーチとしていた私の誤解を、お二人が修正してくださり、込山コーチと田村コーチには深く感謝しております。
笹野コーチのご厚意で、千葉県勝山に男の子もガールズも一緒に合宿に行ったこと、小松さんのメッセージにもありましたが、初めて行った秋川渓谷の合宿、保護者であるお母さんたちのご協力も、忘れてはならない記憶です。
特に、試合でのご家族の応援は、どれだけ子どもたちに勇気を与えたことか。
本当に優秀なサポーターでした。

千葉県一のサポーターの支援と、ボランティアのコーチたちの愛情ある指導が、子どもたちに、サポーター、コーチへの感謝と、仲間たちへの敬意を植え付けました。
これが今日まで続く、マリーナF.C.の礎になったと思います。
現在のマリーナF.C.は千葉県内でも有数の強豪クラブになったと訊いております。
そこで、現在のマリーナF.C.の会員のみなさんにお願いがあります。
サッカーができる環境を用意してくれるコーチ、応援してくれるご家族、浦安市サッカー協会など関係者への感謝と、戦う相手への敬意の気持ちをいつも持って、これからも記憶にのこる素晴らしい試合を行ってください。

今まで30年に亘り、クラブを育て、支えてくれたコーチのみなさん、ご家族のみなさん、浦安市サッカー協会ほか関係者のみなさんに、深く感謝するとともに、みなさまの今後の益々のご活躍を心よりお祈り申しあげます。
マリーナF.C.30周年おめでとうございます、本当にありがとうございました。

 

30周年メッセージ 第34回 小松慶典さん

投稿日時:2021/10/24(日) 15:49

30周年メッセージ、第34回は、クラブ創設時の代表、小松様からいただきました。



マリーナF.C.創立30周年おめでとうございます。
クラブ創設時に代表を務めました、小松慶典(こまつよしみち)です。
浦安市サッカー協会会長を務めたこともあり、浦安市のサッカーのお手伝いもさせていただきました。
現在、サッカーは引退させていただき、会社役員を務めております。
1948年生まれ、73歳になりました。
審判服を着ているのが25年ほど前、そして今の私です。

「光陰矢の如し」と言いますが、明海大学の広場をお借りして、数人でボールを蹴って遊び始めたのが、マリーナF.C.のスタートでした。
昭和63年3月、第二湾岸用地から先の新町地区の開発が本格化。
マリーナイースト、ベイシティ浦安、日本航空浦安社宅、明海大学など、入居・開校が始まりました。
同年4月には、浦安市内12番目の小学校、日の出小学校が開校します。
平成元年、子どもが日の出小学校に通う、日本航空浦安社宅にお住まいの保護者から、子どものサッカークラブ設立の相談がありました。
私が同時期に、マリーナイースト内のファミリーマートをオープンしたことと、入船東スポーツクラブ(現新浦安ユナイテッド)のコーチをしていたことがあって、どういう運営形態にすれば良いか、練習場の確保、メンバー募集などの準備を始めました。
準備期間を経て、平成2年(1990年)4 月、マリーナF.C.が設立されました。
浦安市内6番目のサッカークラブです。
当時の浦安は少年野球が盛ん、サッカーは、Jリーグがスタート、ワールドカップに出場する前の時代でした。
それでもサッカーは、子どもにとって身近なスポーツで、用具もボールがあればできるということで、サッカーのクラブを立ち上げることになりました。
クラブが30周年を迎えることができたのも、コーチ、育成会役員、保護者の方々の献身的な努力で、正確なパスが出来ている結果だと思います。

創設時の思い出は、本当にたくさんあります。
ユニフォームを黄色と黒の縞模様にしたのは、私を含め創立時のメンバーがみんなタイガースファンだったからです。
黄色と黒のチームカラーが今も受け継がれているのは、とてもうれしいことです。
初めて行った秋川渓谷での合宿で、そのユニフォームを洗濯したら翌朝まったく乾いておらず、どうして洗濯したのかと言い争いになったこともありました。
当時のユニフォーム素材は、今とは全く違い、濡れると重くなり、乾くのにも時間がかかったのですが、そういうこともあまりわかっていませんでした。
夏合宿、花火大会、夏まつりの焼きそば、東野プール、親子サッカーやソフトボール大会、学期ごとのお楽しみ会でバーベキューなど、いろいろなイベントをやりました。
私もコーチ、育成会役員のみなさんもとても若く、自分たちでつくったクラブという想いもあり、みなさん、毎週、マリーナの活動を楽しみにしていました。
イベントをしていると、普段のサッカーの活動ではみられないコーチと子どもたちの姿を観ることができます。
魚をあっというまにおろしてしまうコーチ、大人をうならせる芸達者の子ども、とても新鮮で、一層の親近感がわきました。
マリーナF.C.で経験した楽しい思い出は、私にとって、一生の宝物です。

マリーナF.C.は、子どものサッカークラブから、卒業生、大人、コーチも会員となって、地域の多くのみなさんがサッカーを楽しむクラブになっているとお聞きしましたが、まずはクラブをずっと続けていってください。
ピラミッド型ではなく、同心円型の、みんながメンバー、みんなが支えるクラブ。
マリーナF.C.のことを話せる仲間、楽しい思い出を、これからもずっと増やしてください。
マリーナF.C.がそういうクラブであり続けることを祈ります。
私にとって、マリーナF.C.は一生の宝物ですから。


新型コロナウィルス感染拡大で、今まで経験したことがない、コロナ禍での生活。
マスク着用、ワクチン接種、人との接触を極端に避ける、などなど。
早期に感染拡大が終息し、元の生活に戻り、人と人とのつながりを大切にして、子どもの健全な心身育成、創造性豊かな子どもの育成に貢献できるよう、皆様のお身体ご自愛と、益々のご発展を祈念しております。
設立当初ご一緒したコーチ、育成会役員のみなさん、設立当初から現在まで永年に渡ってクラブを支えていただいているコーチのみなさん、深く、深く感謝申しあげます。


マリーナF.C.と並行して、浦安のサッカーのお手伝いをしていたので、そのことにも少しふれておきます。
元来、浦安は野球の街と言われて、グランド等の施設も野球中心に整備されていました。
浦安市、とくにマリーナF.C.が活動する新町地区は、埋め立て地なので元々の住民はおらず、みなさんいろいろなところから来た人たちです。
人口が急増し、小学校も次々に出来る中で、サッカーを通した街づくり、コミュニティの形成に取り組んだのが、当時の浦安市サッカー協会少年部でした。
増え続ける子どもたちのために、サッカークラブを立ちあげ、指導者を確保、さらに審判資格や指導者ライセンス取得など質を向上、明海球技場などの施設の整備・拡充を行いました。
また、指導者同士が敵対するのではなく、同じサッカーの仲間として、子どもたちがサッカーを楽しめる環境をつくろう、そのためにはコーチのコミュニケーションを図ろうと、Gリーグをたちあげて、定期的な交流が出来るようにしました。
Gリーグは形を変えて継続し、コーチのコミュニティが継続していることは、とても嬉しいです。

浦安市サッカー協会も当初はひとりひとりの負担が大きく、これではとても継続的な活動はできないと、組織づくりを行いました。
競技部、審判部、技術部をつくって、子ども育成における役割を分担し、そのことで子どものサッカー機会が充実するとともに、指導や大会運営などのレベルも向上しました。
さらに、浦安のサッカー環境を大きく変えたのが、平成20年(2008年)の明海球技場(現ブリオベッカフィールド明海)のオープンです。
元々、給食センター用地として確保してあった土地を、暫定利用で少年サッカー場として活用、天然芝をはって、コーチたちが種を撒いたり、雑草を取ったりして使っていました。
給食センターが別の場所に完成したため、恒久施設として再整備したのが明海球技場。
当時、人工芝の少年専用のサッカー場というのはほとんどなく、大会などの拠点として、県内でも高い評価を得ました。
浦安市サッカー協会は、最近、私たちの約束を制定されていますが、私たちがめざしていたのも、みんなでサッカーを楽しむということでした。
楽しみ方は人それぞれですが、勝ち負けだけでない、楽しいサッカーをして勝利を目指すということを、いつも考えておりました。
子どもから大人まで、性別、国籍、障がいのあるなしを問わず、全てのみなさんが、世界で一番サッカーを楽しめる街であることを、心から祈って、メッセージの締めくくりといたします。



小松様、ありがとうございました。
日の出小学校に来ていただき、現在のコーチのみなさんに、お話をしていただきました、
マリーナ30周年メッセージは、これまで多くのみなさんからいただいておりますが、事業完了の2022年3月までは、クラブの卒業生、指導者OB、育成会役員OGのみなさんから頂戴できたらと思います。
ご協力、よろしくお願い申しあげます。
 
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