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マリーナFC 30周年

30周年メッセージ 第34回 小松慶典さん

投稿日時:2021/10/24(日) 15:49

30周年メッセージ、第34回は、クラブ創設時の代表、小松様からいただきました。



マリーナF.C.創立30周年おめでとうございます。
クラブ創設時に代表を務めました、小松慶典(こまつよしみち)です。
浦安市サッカー協会会長を務めたこともあり、浦安市のサッカーのお手伝いもさせていただきました。
現在、サッカーは引退させていただき、会社役員を務めております。
1948年生まれ、73歳になりました。
審判服を着ているのが25年ほど前、そして今の私です。

「光陰矢の如し」と言いますが、明海大学の広場をお借りして、数人でボールを蹴って遊び始めたのが、マリーナF.C.のスタートでした。
昭和63年3月、第二湾岸用地から先の新町地区の開発が本格化。
マリーナイースト、ベイシティ浦安、日本航空浦安社宅、明海大学など、入居・開校が始まりました。
同年4月には、浦安市内12番目の小学校、日の出小学校が開校します。
平成元年、子どもが日の出小学校に通う、日本航空浦安社宅にお住まいの保護者から、子どものサッカークラブ設立の相談がありました。
私が同時期に、マリーナイースト内のファミリーマートをオープンしたことと、入船東スポーツクラブ(現新浦安ユナイテッド)のコーチをしていたことがあって、どういう運営形態にすれば良いか、練習場の確保、メンバー募集などの準備を始めました。
準備期間を経て、平成2年(1990年)4 月、マリーナF.C.が設立されました。
浦安市内6番目のサッカークラブです。
当時の浦安は少年野球が盛ん、サッカーは、Jリーグがスタート、ワールドカップに出場する前の時代でした。
それでもサッカーは、子どもにとって身近なスポーツで、用具もボールがあればできるということで、サッカーのクラブを立ち上げることになりました。
クラブが30周年を迎えることができたのも、コーチ、育成会役員、保護者の方々の献身的な努力で、正確なパスが出来ている結果だと思います。

創設時の思い出は、本当にたくさんあります。
ユニフォームを黄色と黒の縞模様にしたのは、私を含め創立時のメンバーがみんなタイガースファンだったからです。
黄色と黒のチームカラーが今も受け継がれているのは、とてもうれしいことです。
初めて行った秋川渓谷での合宿で、そのユニフォームを洗濯したら翌朝まったく乾いておらず、どうして洗濯したのかと言い争いになったこともありました。
当時のユニフォーム素材は、今とは全く違い、濡れると重くなり、乾くのにも時間がかかったのですが、そういうこともあまりわかっていませんでした。
夏合宿、花火大会、夏まつりの焼きそば、東野プール、親子サッカーやソフトボール大会、学期ごとのお楽しみ会でバーベキューなど、いろいろなイベントをやりました。
私もコーチ、育成会役員のみなさんもとても若く、自分たちでつくったクラブという想いもあり、みなさん、毎週、マリーナの活動を楽しみにしていました。
イベントをしていると、普段のサッカーの活動ではみられないコーチと子どもたちの姿を観ることができます。
魚をあっというまにおろしてしまうコーチ、大人をうならせる芸達者の子ども、とても新鮮で、一層の親近感がわきました。
マリーナF.C.で経験した楽しい思い出は、私にとって、一生の宝物です。

マリーナF.C.は、子どものサッカークラブから、卒業生、大人、コーチも会員となって、地域の多くのみなさんがサッカーを楽しむクラブになっているとお聞きしましたが、まずはクラブをずっと続けていってください。
ピラミッド型ではなく、同心円型の、みんながメンバー、みんなが支えるクラブ。
マリーナF.C.のことを話せる仲間、楽しい思い出を、これからもずっと増やしてください。
マリーナF.C.がそういうクラブであり続けることを祈ります。
私にとって、マリーナF.C.は一生の宝物ですから。


新型コロナウィルス感染拡大で、今まで経験したことがない、コロナ禍での生活。
マスク着用、ワクチン接種、人との接触を極端に避ける、などなど。
早期に感染拡大が終息し、元の生活に戻り、人と人とのつながりを大切にして、子どもの健全な心身育成、創造性豊かな子どもの育成に貢献できるよう、皆様のお身体ご自愛と、益々のご発展を祈念しております。
設立当初ご一緒したコーチ、育成会役員のみなさん、設立当初から現在まで永年に渡ってクラブを支えていただいているコーチのみなさん、深く、深く感謝申しあげます。


マリーナF.C.と並行して、浦安のサッカーのお手伝いをしていたので、そのことにも少しふれておきます。
元来、浦安は野球の街と言われて、グランド等の施設も野球中心に整備されていました。
浦安市、とくにマリーナF.C.が活動する新町地区は、埋め立て地なので元々の住民はおらず、みなさんいろいろなところから来た人たちです。
人口が急増し、小学校も次々に出来る中で、サッカーを通した街づくり、コミュニティの形成に取り組んだのが、当時の浦安市サッカー協会少年部でした。
増え続ける子どもたちのために、サッカークラブを立ちあげ、指導者を確保、さらに審判資格や指導者ライセンス取得など質を向上、明海球技場などの施設の整備・拡充を行いました。
また、指導者同士が敵対するのではなく、同じサッカーの仲間として、子どもたちがサッカーを楽しめる環境をつくろう、そのためにはコーチのコミュニケーションを図ろうと、Gリーグをたちあげて、定期的な交流が出来るようにしました。
Gリーグは形を変えて継続し、コーチのコミュニティが継続していることは、とても嬉しいです。

浦安市サッカー協会も当初はひとりひとりの負担が大きく、これではとても継続的な活動はできないと、組織づくりを行いました。
競技部、審判部、技術部をつくって、子ども育成における役割を分担し、そのことで子どものサッカー機会が充実するとともに、指導や大会運営などのレベルも向上しました。
さらに、浦安のサッカー環境を大きく変えたのが、平成20年(2008年)の明海球技場(現ブリオベッカフィールド明海)のオープンです。
元々、給食センター用地として確保してあった土地を、暫定利用で少年サッカー場として活用、天然芝をはって、コーチたちが種を撒いたり、雑草を取ったりして使っていました。
給食センターが別の場所に完成したため、恒久施設として再整備したのが明海球技場。
当時、人工芝の少年専用のサッカー場というのはほとんどなく、大会などの拠点として、県内でも高い評価を得ました。
浦安市サッカー協会は、最近、私たちの約束を制定されていますが、私たちがめざしていたのも、みんなでサッカーを楽しむということでした。
楽しみ方は人それぞれですが、勝ち負けだけでない、楽しいサッカーをして勝利を目指すということを、いつも考えておりました。
子どもから大人まで、性別、国籍、障がいのあるなしを問わず、全てのみなさんが、世界で一番サッカーを楽しめる街であることを、心から祈って、メッセージの締めくくりといたします。



小松様、ありがとうございました。
日の出小学校に来ていただき、現在のコーチのみなさんに、お話をしていただきました、
マリーナ30周年メッセージは、これまで多くのみなさんからいただいておりますが、事業完了の2022年3月までは、クラブの卒業生、指導者OB、育成会役員OGのみなさんから頂戴できたらと思います。
ご協力、よろしくお願い申しあげます。
 

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